自動車の時代に、エルメスがあくまでも馬具製造に固執することでその伝統を守ろうとしたのなら、現在の発展を見ることはなかっただろうし、あるいはすでに人々の記憶から消え去っていたかもしれない。馬具製造の伝統を生かしつつファッション部門への大胆な転身の陣頭指揮をとったのが、のちに3代目社長となるエミール・モーリス・エルメス(1871〜1951)だ。エミールは祖父ティエリ、父シャルル、そして兄のアドルフが馬具職人であったのに対し、社交的な性格と機知を生かして早くから経営面での才能を発揮した。その活躍はシャルルの在任中からひときわ目立つもので、様々な逸話が残されている。フランス国内で馬具の需要が年々減少するなか、エミールは二方面から業績の回復を図る。まずは、いまだ馬具の需要がある外国への販売だ。エミールは持ち前の行動力を生かしてロシアへ赴き、皇帝御用達の栄誉を得たうえ大がかりな商談を成功させるなど、精力的な営業活動を展開した。その結果、20世紀初頭にはアルゼンチン、メキシコ、シャム(タイ)をはじめとした海外からの注文が増加することになる。1911(明治44)年には日本からも、後に陸軍参謀総長となる閑院宮載仁親王が自筆のデザイン画とともに馬具を注文されるなど、皇族方がエルメス製品を使用されるようになっている。ちなみに日本では明治大正期から、皇族や華族に列する方々が「ブランド」品を愛用していた。早いところでは明治の元勲・後藤象二郎がルイ・ヴィトンで買い物をしたという記録が残されているし、加賀の前田家は世界5大ジュエラーと称されるショーメの顧客であった。昭憲皇太后(明治天皇皇后)はナポレオン3世の皇后ウージェニーもお気に入りだったクチュリエ、フレデリック・ウォルトにドレスを注文なさっている。政府は洋装を推進していたものの、それに適しか生地や仕立てはもとより、ジュエリーや鞄などのアクセサリー、西洋式の馬具にいたるまで、国内では第一級の品物を調達することが難しく、ときにパリの一流ブランドへと注文がなされていたのである。