「車は左、人は右」というのは、社会生活を始める幼児に最初に教える交通ルールである。しかし、人の右側通行は戦後のモータリゼーション時代を迎えようとする頃、英国にならって決められたものだ。それまでの日本には左側を歩くという習慣があり、道路では、人は左側を歩いていた。左側通行の風習ができたのは、江戸時代が武家社会だったことに関係がある。武士は左側に刀を差す。これは、右利きの武士がすぐに刀を抜けるようにと考えられた身支度だが、向かい合わせに別の武士が右側を歩いてくると、すれ違いざまに互いの刀が触れ合う可能性があった。それを避けるために、刀のない右側が通路側になるよう注意して歩くという不文律が生まれた。江戸城内での大名、旗本の作法から発した左側通行は、やがて市中に広まったという。殿中では、身分に高低差がある者同士かすれ違うとき、低いほうが身を引いて譲るという習慣もあったが、この譲り合いの作法も同時に伝わっていったようだ。また右利きの人は右足での蹴りが強くなり、まっすぐに歩いているつもりでも、自然に左に寄っていく習性がある。左側通行であれば、そんな習性も補正できる。しかし左側通行は、文明開化後、英国風に変えられてしまった。英国は馬車が左側通行だった都合上、人は右側を歩いており、江戸の美しい作法もいつしか消えてしまったのだった。
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